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名古屋地方裁判所 平成2年(ワ)1812号 判決 1992年7月29日

原告(反訴被告)

芦澤純

被告(反訴原告)

山田健二

主文

一  原告(反訴被告)の被告(反訴原告)に対する別紙事故目録記載の事故に関する損害賠償債務は金二二九万二五七九円を超えて存在しないことを確認する。

二  原告(反訴被告)のその余の本訴請求を棄却する。

三  原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し、金二二九万二五七九円を支払え。

四  被告(反訴原告)のその余の反訴請求を棄却する。

五  訴訟費用は、本訴、反訴を通じて、これを八分し、その一を原告(反訴被告)の、その余を被告(反訴原告)の各負担とする。

六  この判決は、三項につき、仮に執行することができる。

事実及び理由

〔以下、原告(反訴被告)を単に「原告」と、被告(反訴原告)を単に「被告」と略称する。〕

第一請求

(本訴)

原告の被告に対する別紙事故目録記載の交通事故に関しての損害賠償債務の存在しないことを確認する。

(反訴)

原告は被告に対し、二一一九万八五七三円を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、本訴において、別紙事故目録記載の交通事故に関して被告に対する損害賠償債務の存在しないことの確認を求めたのに対し、被告は、反訴において、右交通事故の発生を理由に原告に対し自賠法三条により損害賠償(平成四年三月三一日までに発生した治療費、逸失利益、慰謝料)を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

別紙事故目録に記載のとおり

2  原告は、加害車を自己のために運行の用に供していた者である。

二  争点

原告は、本件事故により被告に生じた損害を争つている。

第三争点に対する判断(成立に争いのない書証、弁論の全趣旨により成立を認める書証については、その旨記載することを省略する。)

一  甲三ないし五、甲六の一ないし三、乙三三、乙三九によると、被告は、本件事故当日の平成二年三月二二日に岡田整形外科病院で頭部・頸部・腰部・右肩・右膝、右足関節等の挫傷との診断を受け、当日と翌日の二回にわたる治療を受けた後、日比外科に転医し、右同傷病名及び右上腕・前腕挫傷の診断のもとに三月二三日から翌月二八日までの三七日間の入院治療を、五月一日から七月一八日までの間は通院(通院日数六三日)により治療をそれぞれ受け、併せて四月二五日には伊藤病院で診療を受け、六月四日から七月二六日までは頸部挫傷との診断を受けて中部労災病院に通院(通院日数一四日)し、次いで七月三〇日から九月二八日までの六一日間は右病院に入院し、退院後も平成三年一〇月二四日まで同病院に通院(通院日数二五〇日)してそれぞれ治療を受けてきたが、一〇月二五日からは頸部挫傷の診断で協立総合病院に通院を続けており、平成四年三月三一日現在で通院は九五日に及んでいるが、被告は治癒するに至つていないとして頸部の運動痛等の症状を訴え続けている。

二  ところで、前掲各証拠及び甲一、甲二、甲七、甲八、甲一〇の一ないし三、甲一一の一、二、乙二ないし乙四、乙九ないし乙一三、乙一五、乙一七、乙三九、証人日比英世、同鈴木和広、被告本人並びに弁論の全趣旨によると、次の各事実を認めることができる。

1  本件事故は、訴外藪下吉治の運転する被害車(ライトバン)とその右側を並進していた原告運転の加害車との衝突事故であつて、原告は、加害車を運転して本件事故現場の交差点手前の進入口に至り、信号に従つて一時停車した後に発進して左折しようとハンドルを左に切つたところ、同車の左側を交差点内に進入してきた被害車(事故の直前にブレーキをかけている。)の右前部に自車の左側部を衝突させるに至つたものであり、該事故により、加害車は左側面リヤーフエンダー凹損の、被害車には右前角ボンネツト・バンパー凹損の各損傷(小破)を受けたが、被告を除き、加害車及び被害車に乗車していた者に怪我はなかつた。

被告は、事故当時は被害車の後部左側の座席に同乗していて本件事故に遭遇したものであるが、救急車で病院に搬送されるほどの受傷ではなく、いつたん勤務する会社に戻つたうえ、夜八時頃になつて近くの岡田整形外科病院での診療を受けた。

2  被告は、前記病院において、被害車の座席で眠つていて本件事故に遭い、頭部と右膝を打つたとして、頭が少しふらつく他、頸椎の後屈痛、腰椎前後屈痛がある旨を訴え、翌二三日には新たに右腕と背部の痛みも訴えるに至つたが、他に疼痛はなく、歩行も正常であつて、視認できる擦過傷、皮下出血等の外傷もなく、レントゲン検査でも異常は認められなかつたので、前記病院は、頭頸部、腰部、右肩部、右膝部及び右足関節の各挫傷と診断し、その治療は一週間の安静加療を要する程度と判断した。

被告は、事故の翌日に前記病院で診療を受けた後日比外科でも診察を受け、頸部の運動制限、腰痛、右上肢の疼痛、右膝と右足関節の痛みを訴え(なお、三月二五日頃になつて右上肢の痺れ感も訴えている。)、かつ、自ら入院による治療を希望した。日比外科は、被告の希望を受けいれて、二週間以内に退院することを約束させて被告を入院させたところ、入院は結局翌月の二八日までの三七日間にもおよんだのであるが、その間の治療内容は、神経学的な諸検査もなく、三回のレントゲン検査はあつたものの、患部の湿布を主とし、他は超音波、短波、マツサージ、間欠牽引等の理学療法が行われたに過ぎず、症状の軽快はほとんどなく、退院後の治療内容も入院中のそれと特に大きくは変つていない。

被告は、日比外科に入院中の四月二五日、同外科の紹介で伊藤病院の診察を受けたのであるが、同病院での診察の結果は、右上腕痛、項部痛が認められ、レントゲン検査で第五、第六頸椎椎間板狭少が認められるが、筋力腱反射も正常である他、頸部の可動域も良好で、スパーリングテストも陰性であるというものであつて、神経学的な症状はないが、二四時間の持続牽引を施行するとすれば入院がよいが、通院でも十分治療は可能であるけれども、被告は強く入院を希望している、というものであつた。

被告は、六月四日より中部労災病院で診療を受けることとなつたが、初診時の被告の主訴は、頸部、背部、右上肢、右下腿の各疼痛等であり、六月下旬に行つたMRI検査により、本件事故との関係は不明であるが、第五、第六頸椎椎間板狭少と椎間板ヘルニアの所見が認められるに至つて、七月三〇日から入院治療に切換えられた。被告は、入院時には頸から右腕にかけて四六時中痛みが続き、右頸部から肩甲骨下、右上肢にかけても疼痛があり、痺れ感もときどきある他、歩行時の右下腿痛、腰痛等があるなど相当重篤な症状を訴えるようになり、八月四日のスパーリングテストは陽性(ジヤクソンテストは陰性)を、八月八日のスパーリングテスト、ジヤクソンテストではいずれも陽性を示すなどしたが、九月二八日の退院する頃には前記各疼痛等は軽減するに至つた。被告は、退院後も前記病院に通院を続けたが、翌三年三、四月頃に担当医師からはこれ以上は治療を続けても治癒しない旨言い渡された。右担当医師は、平成三年一〇月九日付の診断書により、現症として、頸部、腰部の運動時の疼痛、背部の伸展時の疼痛、両側臀部の圧痛等の他、右半身の知覚の鈍麻を訴えている旨、また、スパーリングテスト、ジヤクソンテスト、ライトテストはいずれも陰性、四肢の腱反射・運動の異常も筋萎縮は認めない旨診断している。

被告は、その後も協立総合病院に転医し、平成三年一〇月二五日から同病院に通院して治療を受けている。

3  被告の本件事故時における被害車内での姿勢や事故によつてどの部位に打撲を受けたかの点については、必ずしも明らかでない。

4  被告は、昭和五九年にも交通事故に遭い、いわゆるむち打ち症との診断を受け、今回の事故でも治療を受けた日比外科病院で同年六月五日から翌年三月二九日まで治療(うち入院期間は約四か月半)を続け、自賠法施行令二条の別表による一四級の後遺障害の認定を受けており、また、平成元年一二月には、右足関節外果骨折の傷害によつて、本件事故直前の平成二年二月中旬まで仕事を休んでいた。

以上認定の各事実を総合して考えるに、本件事故時の加害車、被害車の速度はそれ程でないことが窺え、これに車両の損傷状況、被告以外に怪我人がいなかつたこと、事故直後の被告の症状等を照らすと、本件事故による衝撃は必ずしも大きくなかつたことが推認され、加えて、当初の診療を受けた岡田整形外科病院での診察によると、擦過傷、皮下出血等の外傷は全くなく、レントゲン検査によるも異常はみられず、症状は専ら被告の訴える自覚症状のみであつて、安静加療一週間位で治癒が見込まれる程度の傷害であると診断しており、続いて診療を受けた日比外科病院では、被告の希望を受け入れて安易に入院させた形跡さえ窺えるが、その後の同病院での治療の内容や経過からすると、少くとも三七日間もの入院治療が果して必要であつたかの点には大きな疑問さえ残り、事故の約一か月後に診察した伊藤病院の診察によつても、それまでの病院で認められなかつた第五、第六頸椎の椎間板狭少が認められたものの、他に他覚的な所見はなく、また事故後約三か月経過しての中部労災病院でのMRI検査で認められた第五、第六頸椎の椎間板ヘルニア(椎間板狭少の他に)の所見も本件事故によるものか、退行性の経年変化によるものかの判定は結局できないなど、諸般の事情を総合すると、被告が本件事故によつて受傷したことまで否定することは未だできないが、被告が蒙つた後記認定の損害のうち、本件事故と相当因果関係のある損害は、その八割とみるを相当とする。

三  被告の損害について検討する。

1  治療費(請求四四三万八五七三円) 四〇五万八二一九円

乙六、乙一〇、乙三七、乙三八によると、被告の治療費は、岡田整形外科病院四万三八二八円、日比外科一〇七万一九六〇円、伊藤病院六万六〇一〇円、中部労災病院二八七万六四二一円であつたことが認められる。

なお、 被告は平成三年一〇月二五日以降も協立総合病院に通院し、乙三九によると、その治療費として三八万〇三五四円を要したことが認められるが、前認定のように遅くとも中部労災病院での治療の打切りの時点をもつて症状は固定しているものと認めるのが相当であるから、前記協立総合病院での治療は、特段の事情のない限り相当因果関係はないとみるべきであり、右特段の事情を認める証拠はない。

2  休業損害(請求一〇三六万円) 一二六万七八一六円

既に認定の各病院における入院日数、通院頻度及び被告の訴える自覚症状並びに乙一四、乙一八ないし乙三二、乙三四ないし乙三六を総合すると、被告は、本件事故により平成二年三月二三日から翌三年一〇月二四日までの五八一日間休業を余儀なくされ、この間の休業損害は、一日当り一万〇六八四円として合計六二〇万七四〇四円となるが、そのうち労災による休業補償として四九三万九五八八円が支給されていることが認められるので、結局その差額である一二六万七八一六円が実質的な休業損害となる。

なお、被告はボーナスが得られなかつたことによる損害一六〇万円も主張するが、事故前にボーナスを得ていたことを認める証拠はない。

3  慰謝料(請求六四〇万円) 二〇〇万円

前記認定の被告の受傷の部位程度、入・通院期間、その他一切の事情を総合すると、入・通院期間中の慰謝料は右金額が相当である。

四  以上のとおり、被告の蒙つた損害額は七三二万六〇三五円となるところ、前記二の理由により原告に賠償を求めることのできる額は、その八割に相当する五八六万〇八二八円となる。

五  ところで、被告が、損害の填補として、安田火災から六四万一八二八円、自賠責から五万円、労災の療養給付(中部労災病院治療費)として二八七万六四二一円をそれぞれ受領していることは当事者間に争いがないので、これを控除すると、原告が被告に対して賠償すべき損害額は二二九万二五七九円となる。

六  以上によれば、原告の被告に対する損害賠償債務は二二九万二五七九円であり、本訴及び反訴はその限度で理由があることになる。

(裁判官 大橋英夫)

(別紙) 事故目録

(一) 日時 平成二年三月二二日午後六時五分頃

(二) 場所 一宮市丹陽町伝法寺字柳川一一―六先国道二二号線上

(三) 加害車 原告(反訴被告)運転の普通乗用自動車(尾張小牧五七ち八三一五)

(四) 被害車 訴外藪下吉治運転の普通貨物自動車(名古屋四七な一六三〇)

(五) 被害者 被害車に同乗していた被告(反訴原告)

(六) 事故態様 加害車は本線を、被害車は側道をともに同一方向に進行中、前記事故場所における交差点において、加害車が左折するに際し、自車の左前部を被害車の右前部に衝突させたもの

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